東方風神録の舞台である長野県の諏訪に行ってみた その二
14:00 諏訪大社 本宮
そんなこんなでやや消化不良気味な感じで上田駅を後にし、高速で諏訪へ帰還。
地図を見ればわかるが、結局半日かけてこの周辺をぐるり一周した事になる。
ただ、上田から諏訪へは高速使っても下道使っても大差ないんじゃね?と運転しながら思ったが、そこには目をつぶることにした。
どちらでもいいことなら今行なっているのが正しいとおもうことが精神衛生上重要である。
さて、諏訪ICから近いところから攻めるかね、と言うことで本宮へ向かう。
途中、「万代書店」という同人誌やら雑貨やらを扱う郊外のロードサイドにありがちなお店があったので、ちょっとよってみた。
中を見てみたが、聖地だからといって東方が優遇されているわけではないらしい。それどころか健全本まで含めですべての同人誌が18禁コーナーにある有様である。
単に興味が無いだけか、あるいは地元過ぎておおっぴらにPRできないのかもしれない。
元ネタが万人に受けいられれるものではないからして・・・
で、唐突ながら本宮である。
少し離れたところにある駐車場に停めてから神社に向かうのだが、道中は門前町の雰囲気が濃く、地元の物産を売るオバチャンたちの呼び声と鳥居の下をくぐって神社の敷地へ。
オン・バシ・ラァァァ!
すごく、大きいです…
実の所、東方でこれの存在を知ったので六角形に削られているのかと思っていたが、本物は原木の雰囲気を強く残していた。
元々は樹皮も残していたそうだが、明治頃にある集落が樹皮を剥がした御柱を立てた所、それが評判になってこぞって真似した結果こういう形になったという。
また、諏訪大社に限らずこの近隣の神社にはほぼ必ずといっていいぐらい御柱が立っているが、一山超えた伊那市のあたりではこれが全く無い。
地域ごとに独自の風習が発達していたのだなあ、と思わせる光景である。
そういうわけで、色々と
八坂神奈子のスペカ「お天水の奇跡」の元ネタ「天流水舎」
解説の通り、どんなに晴れた日でも三滴は水が落ちてくるという
亡穀「アンリメンバードロップ」の元ネタ?と思われる。
後に出てくるが、春宮の方にちゃんと筒粥殿があるので。
DOHYO
SUMOUはかつて神事と分かちがたく結びついていた。
一人SUMOUはKAMIに勝利を捧げる儀式であったという。
八坂神奈子のスペカ「目処梃子乱舞(めどでこらんぶ)」の元ネタの目処梃子
この祭り、日本三大奇祭の一つであり、かつ日本でもトップクラスに激しい祭りである。死者が出ることも珍しくなく、事実2010年に行われた御柱祭でも2名の死者を出している。
しかし、祭りで死ぬ人間は神に見初められた人間というから、この祭りで命を落としてしまったなら、あの二柱のそばに行けるということになる。
ちょっと俺今度の御柱祭に(ry
大国主社
風神録ではなく永夜抄ネタですね。
因幡てゐこと因幡の白兎の傷を癒してあげたエライ人。
かつ、諏訪大社の祭神である建名御名方神の父親でもある。
洩矢諏訪子のスペカ「七つの石と七つの木」の元ネタの一つ「硯石」
けどどれが硯石かまるでわからんかった結果がこれである。
ちょうど行われていた結婚式
御両人ともお幸せに
とまあそうして色々なものを見ながら定められた参拝路と律儀に進んで拝殿へ
さて皆様お待ちかね、痛絵馬である。
これとか
これとか
これとか
これとか、中々レベルは高い。
他にも色々な絵馬があったのだが、個人的に着目したいのがこの絵馬。
どう見てもオタクとは思えない普通の人が書いた絵馬なのだが、ご丁寧にイラストが添えられている。
それもここだけではなく、後で秋宮に行った時も似たような感じの絵馬があったのである。
これはつまり、あまりにも皆が痛絵馬を奉納するものだから普通の人さえも「ここの神社は絵馬に絵を書いて奉納するのか」と勘違いしているフシがあるのだ。
他の神社でもこんな風になっている例をちらほら見るので、「信仰の仕方ってのは代々こうやって変わっていったのか」と思わざるをえない。
また、参拝の最中には雅楽が流れていたのだが、そのへんの神社みたいにスピーカーでガンガン流しているわけではない。
なんと生演奏である。
雅楽の生演奏なんて初めて聞いたが、なかなかどうして良いものである。
ぜひ初詣に参拝して春の海の生演奏を聞いてみたいと思ったのだが、そのためにはまずスタッドレスタイヤを履いて来る必要がある。
これを聞くためだけにスタッドレスタイヤ…
まあ、そこまでしなくても当日電車で来ればいいだけの話ではあるが。
15:30 神長官守矢資料館
本宮から前宮に行く道すがらにあるのが代々諏訪大社の筆頭神官を務め、早苗さんの元ネタにもなった守矢家に代々伝わる文書や風習について紹介している「神長官守矢資料館」である。
ここ、実は守矢家の敷地内に立っており、実際に人が住んでいると思しき建物もすぐとなりにある。
なので、一部でこの資料館は「早苗さんの実家」と呼ばれているらしい。
しかしながら、「早ー苗さん、あーそーぼ♪」ってな軽いノリで来ると確実に返り討ちにあうであろうディープさを持っている。
まず、入り口から奥へしばらく歩くと見えてくるこの建物、これが守矢資料館である。
この建物、守矢家の当代当主である守矢早苗さん(東風谷早苗の直接の元ネタ)の幼馴染で建築家の藤森照信氏の作品である。
諏訪の自然と信仰をイメージしたと言われるが、一度見たら多分忘れることはないであろうインパクトがある。
そして中に入ってみれば
このように鹿その他多数の動物の剥製がお出迎えしてくれる。
これは諏訪七不思議の一つ「高野の耳裂鹿」で、裂けた耳は神様がつけた印なのだそうだ。
これは「御頭祭」というこの地方で行われていた祭りを江戸時代の記述を元に再現したものらしいが、耐性の無い人が見ると卒倒するんじゃないかというぐらいインパクトがある。
また、このように狩猟のための道具もあったので、やはりこの地域では狩猟も生活の糧を得る上で重要な位置を占めていたのだと思わせる。
完全に余談だが、諏訪大社は狩猟の神様としても信仰を集めていたということで、一時期はモンハンの絵馬がものすごい勢いで奉納されていたという。
これも、新しい信仰の形なのだろう。
他には武田信玄からの書状であるとか、まあおおよそ普通の資料館的な展示物ではあったのだが。
後はこんなふうに諏訪大社縁の地を紹介したファイルが置いてあるが、東方が分かるなら見ていて楽しいのでおすすめである。
そして、資料館の外に出て諏訪子…もといミジャグジ様を祀っている神社へ。
これが洩矢諏訪子のスペカ「ミジャグジさま」の元ネタになった神である。
八坂の神の社殿を見た後だと大きさ的に見劣りするが、なかなか良い雰囲気の神社である。
足下の溝には清水が止め処なく流れていて非常に気持ちがいい。
その他見逃せないものとしては、この祈祷殿がある。
ここではかつて一子相伝の秘儀が口伝で(つまり言葉で直接)伝えられたというが、明治頃にその秘儀が途絶え、失われてしまったのである。
つまり、東風谷早苗のスペカ「グレイソーマタージ」「忘却の秘儀」の元ネタがこれ。
空飛ぶ泥船…そうか、つまりこれは星蓮船!(違
※ちなみに星蓮船の元ネタは信貴山の飛倉と言われている。
そんなボケをかましつつこの資料館を後にして前宮へ向かうのである。
16:00 諏訪大社 前宮
資料館から車で5分、ここが諏訪大社前宮である。
鳥居の手前辺りに絵馬の奉納所があったので、覗いてみれば案の定
なんか本宮より線が少なくてまとまってる絵が多い感じがするのは気のせいか。
さて、この鳥居をくぐった後、普通の道路としか思えない道を100mほど歩けば前宮である。
ここが前宮。
他の社に比べても人が少なく静かだが、それもまた良い。
そしてここにもオンバシラ。
他の宮とは違い4本全てのオンバシラに近づくことのできる神社である。
名水「水眼」の清流
八坂神奈子のスペカ「水眼の如き美しき源泉」の元ネタ。
その名に恥じぬ清らかな水の流れである。
早速飲んでみたが、やはりうまい。
そりゃそうだ、言ってしまえばこれは「アルプスのおいしい水」なのであって、ミネラルウォーターがその辺の沢を流れているも同然なのである。
先ほどの資料館の溝を流れていた水も極めて清らかで流量も多く、飲もうと思えば飲めそうなぐらいだったのだ。
やはり、このあたりは極めて清流に恵まれているのだと言うことを改めて実感する。
1kmほど上に源流があるらしいが、道がよくわからんので今回はパス。
またの機会があれば登ってみたいと思う。
※注 源流から前宮までは距離があるので、前宮の水は飲用に適さないらしいと後から聞きました。
幸い、今回はなんとも無かったというのだけは報告しておきますが、飲用は自己責任で。
ならなんで飲めとばかりに柄杓がおいてあるんだと小一時間
というわけで、一日目の探訪はこのへんで終わり。
ホテルの近くにあった片倉館という有名な温泉にて一日の汗を流し、ホテルで眠るのであった。