東方風神録の舞台である長野県の諏訪+αに行ってみた その三
9:15 諏訪湖間欠泉センター
さて、この日最初に行ったのは諏訪湖間欠泉センター。「東方地霊殿」の発端となった間欠泉の元ネタになったであろう場所である。
行く前に調べてみれば、ここはかつて日本有数の間欠泉であり、最盛期には50mほども温泉を吹き上げていたそうだが、今では自噴も止まってしまい、圧縮空気を送り込んで間欠泉を吹き出させている…とのこと。
実際、「諏訪 間欠泉」で検索してみると往時は周囲の建物より遥か高い位置まで吹き上がっており、10年ほど前の時点でもかなりの高さを誇っていたようだが、時代が下れば下るほど…というようになっていく。
なんとなく、神奈子様が計画立案している「幻想郷新エネルギー計画」の行く末が見えてしまったような気がしたが、そこには目をつぶろう。
さて、だいたい噴出す時間が決まっているということなのでその時間に合わせて間欠泉センターへ。
タケヤミソとデカデカと書かれている看板が目印の駐車場に停め、そこから歩いて来てみると、既に十何人の人が間欠泉の吹き出し口のまわりに集まっていた。
しばらく暇なので諏訪湖を眺める。
朝の空気が心地よい。
そうして待っていると、噴出口から湯気が立ち上ってくる
いよいよか?と思うがなかなかでてこない、音はすれども姿は見えず。
と思ったら頭をのぞかせ
勢い良く吹き出す!
勢い良く…
勢い…
あれ?もう終わり?
…とまあ、こんな感じだったのである。
「うおーすげーっ」ってよりも「どうしてそこで諦めるんだよ!もっと!熱くなれよ!」って言いたくなるような。
ここに修造を放り込めばすぐに50mほど吹き上がるんじゃね?とものすごい馬鹿なことを考えてしまった。
まあ、つまりは勢い良く吹き出す間欠泉はすでに幻想入りし、今は博麗神社の裏の敷地で往時の勢いのまま温泉を噴き出している、ということなのだろう。
日がな一日中温泉を屋根から被っている博麗神社の痛みは激しそうであるが。
10:00 諏訪大社秋宮
気を取り直して春宮へ向かう。
駐車場に停めた時、ふと気になって周りの車のナンバーを見てみたが、松本・諏訪と言った地元のナンバーから、品川・名古屋。なにわなど様々なナンバーがあった。
やはりここは日本有数の観光地なんだなぁ、と思うと同時に福山ナンバーの自分がこの場にいることがいかに異様かということも実感するのである。
この場には自分以外に大阪以西のナンバーなんかひとつもないんだな、それが。
まあ、その辺りは置いておくとして。
春宮の入り口。
入った瞬間に空気がヒヤッとする。
大きな神社で大概こういう感覚を覚えるが、決して木々が多いという地理的条件のせいだけではないと思う。
春宮神楽殿。
儚月抄でこの大きなしめ縄に関して「神様を封じ込めるものだ」と言及されていたのを思い出す。
後ろの弊拝殿はかなり立派である。
八坂神奈子のスペカ「神の粥」の元ネタである筒粥神事が行われる筒粥殿
こじんまりとしている。
当然ここにもオンバシラはある。デカイので説明不要。
ここにも絵馬奉納所はある。
当然、痛絵馬も
これとか
これとか
これとか
すぐ横にあるこれはスルーで行きましょう。
そんな感じで、春宮への参拝を済ませたのである。
そこから物のついで、ということですぐ近くにある万治の石仏に行ってみることにした。
道すがらの清流(砥川)
向かって左に見えるのが諏訪の七不思議のひとつ「浮島」で、度々砥川が氾濫してもこの島は土が無くならなかったのでこのように言われたのだそうだ。
そこから100mほど歩くと万治の石仏に行き着く。
遠目からでも分かるこの存在感。
このようにお願いごとをしながら三周回ると良いらしい。
早速やってみたが、効果の程は不明である。なにかいいことがあれば良いのだが・・・
11:00 諏訪大社秋宮
大仏さまを巡ってから車へ戻り、一路秋宮へ
これまでの三社と違って門前に土産物屋が立ち並んでおり、一番観光地っぽい雰囲気が漂っている。
バス専用含め駐車場も整備されているが、そこには当然のごとく大きな土産物屋があり「駐車やバスツアーの折にはぜひ我が店でおみやげを!」という高度経済成長期的な戦略が未だに生き残っているんである。
だが、これは実に有効な戦略である。引っかかった本人が言うのだから間違いない。
当然ながら、人出もここが一番多い。
前宮なんかはパラパラ数人しかいなかったことを考えると雲泥の差である。
以前、伊勢神宮の外宮に行ったら思っていたより人が少なく「いやぁ、静かで空気も綺麗で、いいところだなぁ」とのんきに散歩気分で参拝し、その感覚のまま内宮に行ってもみくちゃにされたのをこの時ふと思い出した。
秋宮の入り口
少ないように見えるが、写ってないところでは
こんなふうに大勢の人がいる。
さて、ここは東方風神録探訪をする上では非常に重要な場所である。
と、いうのもここは6面で神奈子様と対峙する時に背景に写っている「秋宮神楽殿」があるからである。
背景に写っている太い注連縄のある建物、と言えば分かるだろうか。
基本的にキャラクターの元ネタ、あるいは作品の元ネタに云われや縁のある場所が中心の東方探訪において、直接舞台として出てくるのは、今のところ平安神宮とここと、あとは前宮の御柱ぐらいのものである。
(ちなみに前宮の御柱は撮影したはずなのにテータが残っていなかった…)
いよいよご対面か!と胸を高鳴らせて参道をあるく。
そして目前に神楽殿が…
ウソダドンドコドーン!!
とまあ、ご覧のとおり工事中でございました。
3割ぐらいはここのカットの回収が目的だったので、これを見た瞬間テンションだだ下がり。
だが、ここで凹んでいても仕方ないので裏手の弊拝殿へ。
春宮同様ここも立派なもの。
なんでも、春宮のそれと同時期に立てられ、設計も春宮と全く一緒だが、意匠の面で造営者同士が互いに工夫をこらし、競いあったという。
とうぜんここにも御柱がある、デカイので(ry
となれば、痛絵馬も。
これとか
これとか
これとか
ほーいいじゃないか。こういうのでいいんだよ、こういうので。
と、ひとしきり周りを見てから秋宮を後にする。
神楽殿が撮れなかったのは残念だが、また機会があれば撮影もできる。
今回はこの程度だったが、本来なら行くべき洩矢神社にも藤島神社にも、手長足長様を祀っている神社にも行けていないのだ。
これはもう、改めて来るより他にはあるまい、と。
そう心に誓いながら諏訪を後にしたのだった。