社会人には研究資料がない

聖地巡礼の研究のため、溜まりに溜まっていたネット上で公開されている論文をまとめて印刷しました。
今年の一月に友人のいる筑波大学で資料集めと執筆のためのカンヅメを敢行して以来ですから、当然といえば当然です。


それにしても、社会人になって以降ネット上で公開されている以外の論文やヒアリングの類といった資料がほとんど手に入らなくなりました。
普通の書籍であれば、まだアマゾンという手もあります。
しかしながら、論文、こと雑誌論文となると地方では関連学部のある大学図書館にでも行かない限りほとんど手に入りません。

その図書館にしても、肝心の雑誌のある場所が関係者以外立ち入りの難しい書庫や院の研究室だったりするので、部外者が閲覧しようと思ったら大変苦労します。

この研究については、中心となっている北海道大学さんが積極的に論文や発表資料を公開しているからこそ何とか続けていられているようなものです。
これがなければ完全に干上がっていますから、昨日コピーした論文はそれこそ私にとっては珠よりも貴重なモノです


それを思うと、大学生というのは実に恵まれているなー、と思うわけです。

大学で研究する意志と最低限のマナーさえあれば、関係者に協力を依頼してもとりあえず話は聞いてくれますし、事と次第によっては話もしていただけます。(実際に大学時代の自分がそうでした)

それに、資料にしても大学の図書館が利用可能ですし、やり様によっては他大の図書館に潜り込むことも容易です。
発表の場にしても、卒論という格好のステージがあります。

それが社会人ともなると資料も手に入りにくいですし、立場もあるから易々と話を聞きにいくわけにもいかない。
よしんばそれをくぐり抜けて発表できる論文を作ったとしても、今度は就業規定やらなんやらで外部に論文を発表するにも全く畑違いの上司に御伺を立てないといけないのです。(今の自分の会社には規定がばっちりあります)


そんなこんなで社会人が趣味で研究するのは本当に難しいよなぁ・・・と、思うのが最近の常です。

研究成果を実践できるような立場になるまで待つか、あるいは実践できる場を作るより他ないのでしょうか・・・


自分に情熱や気力が足りない、と言ってしまえばそれまでなのですけどね。